読み物の時間

ここ数年では一番、読書が面白い時期がきている。

角幡唯介「極夜行」は北極圏の全く日が昇らない時期を旅した冒険譚。と言っても風景が真っ暗で、単独行のため思索の時間が長いこともあってそれほどドラマティックなものではない。

早瀬耕「プラネタリウムの外側」。「未必のマクベス」の作者の連作作品なのだが、悶絶した。顔を歪ませてくる作品だった。デビュー作の「グリフォンズ・ガーデン」が4月末に文庫化されるようで、これを読んだらひと段落するかも。

その他、2冊ほど積読状態となっている。ここ数年の(というよりかは10年くらいかもしれないが)僕としては、こんなに本を読むなんて珍しい。現実逃避かもしれない。

 

現実逃避といえば、このところ僕の最大の現実逃避であり希望はクラシック音楽だったのだ。

地元の県が地震津波放射能でずたずたにされた東日本大震災の灰色の日々を、僕はショスタコーヴィチレニングラードと過ごした。実際に被災された人たちに比べれば、随分余裕がある行為だとは思うが、それでも随分救われたのだった。

 

さて、最大の希望は、というと、北の大地である。いつか北海道に移住したい、というのが僕の最大の希望にして現実逃避。叶うだろうか? 実は、数年後にはその決断ができるかもしれないし、できないかもしれない。多分、10年後も今の場所にいるだろう、というのが確度の高い僕の予測。

でも僕はそれが悲しいのだ。そして、人は悲しくなると北を目指す生き物なのだ、きっと。でも、僕は知っている。北より先に北はない。あの土地は随分と寂れていて、モノトーンで、逃げ場所はないけれども、なんだか人が明るいということを。

 

 

 

 

Additional two years

さらに2年が過ぎた。

2年! 驚くべき過去だ。2年前、僕を悩ませていた状況は形を変えて残り続けて、また消え始めている。そしてきっと、新しい何かになる。

自分が王様だという感覚、そういうものを抱くには早すぎる。だが、ではいつになったら人は王様になれるのか? 生まれてから死ぬまで人は自分の人生の王で、社会の一部に過ぎない。

 

2年前からの変化、多分貯金が減ったことくらいしかないだろう。資産は増えたのだろうか? それが、増えたようには思えない。当時使っていたMac Book Airも現役。一体何が変わったというのか。生活は、車を持った以外は変わらない(それが大きいと言う説もある)。

 

僕は前回の記事の少し後くらいに、おそらく米国の雑誌TIMEの定期購読を始めた。それから2年、飽きずに続いているが、全然読まない時期もあり、最近はまた真面目に読んでいるという感じ。

読んでいるだけでは英語力なんて大して伸びない。発話と聞き取りの訓練をするほかない。大きな収穫は、アメリカを中心とした世界観の中で、少しニュースがわかるようになったくらいか。僕は基本的にテレビも観ないし新聞も読まない。

 

2年を経て何を得ただろうか。つい最近、バラ色の未来を描いている人を見て、微笑ましくなったものだ。人生はそんなにうまくはいかない。

2年前、あの時描いていた予想図とも多分違う、今を歩んでいる。今、予期していることはある。だがその通りになるだろうか? もしかしたら死んでいるかも? どんな人間になれるかなんて分からない。どんな人間になりたいか、それだけが今僕の選べることだ。

 

久しぶりに文章を書くことは楽しい。これが、やっぱり僕の好きなことなのだと思う。そう思いながら筆を置く。次からはもっとコンスタントに書ければ、と願う。読むこと、書くこと。結局、人と交わることが苦手な僕には、それが所与の動作であり、理解すること、伝えることよりも、感じること、表現することに重きが置かれる。

実に非社会的な人間だと思うよ。

 

 

Past 3 months

最初の記事を書いてから3ヶ月が過ぎようとしている。時の流れるのは早い。いや、単にブログの存在を忘れていただけだ。

 

今、僕は何をしているのかというと、会計士として監査法人で働いている。

ちょうど今繁忙期だ。死ぬほど忙しい人は、深夜帯まで働いていると思う。僕はそんなに体力もないので、そこまで働かないけれど…。

会計士の働き方にも色々あると思うが、会計士だけに認められているいわゆる会計監査という仕事は、監査意見日という明確な締め切りのある仕事であり、かつそれはたいていクライアントの都合で決まる。締め切りがあることはある意味楽でもあるのだが、それに間に合わせなければならないつらさはある。

そんな働き方に、そもそも監査という仕事に、もっというと会計士という生き方に、疑問を持ってしまった。自分には向いていないなと、はっきり思ってしまった。

そういうのが、こんなブログを始めた切欠だった。

今その気持ちは大きくなりつつある。続けるか、道をかえるか。悩んでいる。

 

 

中流宣言

高校生の卒業文集か何かで、将来お金持ちになりそうな人ランキングというのがあった。
僕はそのランキングの上位に入っていて、確かにこの面子の中ではお金持ちになりそうだな、と思った記憶がある(なんという生意気な少年だろうか)。
今、その頃から十年くらいが過ぎて思うのは、当時の可能性や才能はだいたい無駄にしてしまったに違いないということだ。

それでも、後悔はみじんもない。

まだ自分には可能性が残っているとも思うし、かけがえのないものも手に入れているのだから。

 

さて、中流とはなんぞや、と思う。より収入の高い人や社会的ステイタスのある人から見れば圧倒的下流かも知れぬ。しかし、これまで築き上げてきたものを下流と自嘲するほど矮小な人間でもない。

中流であると宣言した上で、日々の覚え書きをしていこうと思う。